第3回 ラーメンの現在
国民食であり、郷土料理でもあるラーメンだが、権威にしばられず自由であるがゆえに、絶えず進化をしている。とくに、この10年は戦国時代さながらの状況だ。そこで、今回からは、ゲストに「日本一ラーメンを食べた男」、ラーメン評論家の大崎裕史氏を迎え、ラーメンの現在をテーマに会議をする。例によって、この基調トークを踏まえ、塾生諸君の意見や感想を、ブログで大いに発言してほしい。
●大崎裕史プロフィール
1959年ラーメンの地、会津に生まれる。日本一のアクセス数を誇るラーメンサイト「東京のラーメン屋さん」「ラーメンバンク」を立ち上げ、ラーメン界の第一人者として知られるようになる。2005年、ラーメン界を盛り上げるために株式会社ラーメンデータバンクを設立、代表取締役に就任。2006年10月末現在、14,500杯のラーメンを食べ尽くした、自称「日本一ラーメンを食べた男」。
[第3回 発言テーマ]
1.キミはラーメンにインパクトを求める?求めない?
2.ラーメンの美味しさと、インパクトの関係。
3.キミが美味しいと思う、インパクトのあるラーメンと店。
4.キミが美味しいと思うインパクトとは無縁のラーメンと店。
※ 発言テーマは上記に限らず広く考えて結構です。
今回の基調トークの範囲内で自由に発言して下さい。

小哲〜今日は、ラーメンの現在というテーマで、大崎さんからいろいろうかがいたいんですが、その前に、これ、僕の率直な驚きです。「日本で一番ラーメンを食べた男」大崎さんは今日の時点で何杯目になるんですか。とりあえず、それを聞いておかないと。
大崎〜今、14500杯ぐらいですね。
小哲〜うわ、そんなに。毎日1杯食べたとしても、約40年かかる。スタートしたのは何年前ですか。
大崎〜実際、ここ10年は全部記録を取ってるんですけども、10年よりちょっと前は記録は取ってないので、1年間で100杯は食べてたなという、ざっくりな計算なんですね。7歳のときから週2、3回は食べてたので・・・
小哲〜あっ、7歳のときから!それは、それだけラーメンが好きだということですか。
大崎〜そうですね、もちろん、嫌いだとこんなに食べられないですし、当然、好きなんですけど、もう好きという概念ではなくなってしまってるというのがひとつありますね、超えてるというか。
小哲〜言ってみれば、コレクターですか、もう。
私にとって、ラーメンはごはんと同じ
大崎〜完全なコレクターでもありますし、食事の一環でもありますしね。よくマスコミの方にも聞かれるんですけど「ラーメンをそんなに食べて飽きないんですか」という質問は結構多いんですね。で、それって、私にとっては、日本人に「そんなにごはんばっかり食べて飽きないんですか」って質問するのと同じなんですね。ごはんには飽きるとか、飽きないという感覚はないと思うんです。だから、そういう質問されると、唐突というか、何を質問してるんですか、みたいな感じなんです。で、土日に地方へ行くと大体2日で15、6杯は食べるようにしているんですけど、1日8杯は食べるので。帰ってきて、翌日仕事をして、昼めし、どこでラーメン食おうかなって、普通に考えますね。土日に15杯食べたから、今日はラーメンじゃないものにしようとか、そういう発想が全然沸きませんからね。
小哲〜もう一つ。なんでもそうだけれども、まずい店ってあるじゃないですか。それも、もう別の感覚で食べる?
大崎〜私は年850杯食べてるんですけれども、その中で残す店は10杯ぐらいあるんですね、いままでの記録を見ると。
塾長〜1年間でたった10杯。ほう。
大崎〜そういう10杯の店はなんで残してるかというと、お店に対して腹が立ったときにせめてもの抗議で残すケースがほとんどで、おいしくなかったから残すというのはあんまりないです。滅多にないというか、ほんとにラーメンが好きというか、超越しているので、残すとかそういう感覚はまずないですね。
小哲〜まずくても大丈夫?
大崎〜基本的には食べられますね。こういっちゃなんですけど、うちのおふくろが料理下手でがおいしくなくて、それで外食も多かったんですけれども、結局おいしくない料理に慣れているというか。いまは多少グルメみたいなことを語っちゃってますけれども、そんな舌は全然ないんですね。逆に、町の一軒家食堂のラーメンでも食べられますし、チェーン店でも食べられますし。
小哲〜ま、味以外に、店ごとのストーリーってものもありますからね。
私は幅広く底辺層のラーメンも食べられる
大崎〜そうなんです。で、いまインターネットを通じてラーメン評論家という人間はものすごく多いですけども、その中でも私は幅広く底辺層のラーメンも食べられる数少ない一人なんじゃないかと思っています
小哲〜前にちょっと聞いたんですけど、ラーメンにはまったのは学生のとき東京に来て食べ始めてからだと。
大崎〜田舎にいたときには普通に食べている生活を送っていたわけです。大学のために東京に来まして、ああ、ラーメン食べてみようかなと思って、最初は普通のしょ油ラーメンを何軒か食べて、気がつかなかったんですけれども、博多ラーメンのお店に入ったときに、白いスープと細い麺が出てきて、これはラーメンじゃないんじゃないのかなと。こんなの見たことなかったし。でも、これもラーメンというのなら、ほかにどんなラーメンがあるんだろうということで興味を持って、もっといろんなところに行ってみようと思ったわけです。 当時はラーメン本なんてなかったし、もちろんインターネットもなかったので。
小哲〜それは何年頃になりますか。
大崎〜30年ぐらい前ですね。街を歩いててふと見つけたところに入るとか、そんな感じでした。もちろん、雑誌にたまに「おいしいラーメン」なんていうのが載ると一目散に食べに行くような格好でした。
小哲〜ご出身はどちらなんですか。
大崎〜福島の会津、喜多方ラーメンの隣町なんです。自分の町でもああいう喜多方ラーメンみたいなものは食堂で食べられてます。喜多方は実はいまも進化していなくて、言い方をかえれば、昔ながらの喜多方ラーメンでずっときてるという感じで、東京のおいしいラーメンに慣れた人が喜多方ラーメンを食べに行くと、だめですね、圧倒的に。でも、私が大概のラーメンが大丈夫なのは、そういうところで育ってきているからだと思います。
ラーメンには、大きく二つの方向がある
小哲〜ところで、そうやって何10年にもわたって日本中のラーメンを食べ続けてきた大崎さんから見て、最近のラーメンの動きはどういうものなんでしょう。
大崎〜二つの方向がありまして、ラーメンを守るというか、王道を行くようなタイプと、もう1つはどんどん変わっていくタイプ、東京でラーメンを成功させるためにはマスコミに載らないと難しいというのがあって、どうやったらマスコミに載るんだろうという発想なんですね。濃厚なスープ、パンチのあるスープ、そういう方向に行ってます。ある意味、ちょっとごてごてした感じもありますし、濃厚な豚骨に濃厚な魚介を組み合わせる。
小哲〜そうそう、どんどん濃厚になっている。
大崎〜そうですね。ちゃんと勉強された料理の方は眉をひそめるようなラーメンが増えていて、それが若い人たちには受け入れられているところもありますので。魚粉をそのまま投入しちゃってますからね、最近は。
小哲〜ほんとに!
大崎〜インパクトはあって、ラーメンを食べたい人にはすごいわかりやすいんです。
塾長〜それじゃ、生臭いじゃないですか。
大崎〜ええ、でもそれがインパクトになって、これすごいねえ、といって若い人たちは食べてるわけです。すごいねも何も、逆にある意味つくり手の手抜きなわけですよね、粉をかければいいんだと思ってますから。昔だったら弱火でじっくり煮込んでみたいな部分を省いちゃってるわけなので。
小哲〜背脂を入れるってのもすごいですねえ。
大崎〜それですね。あれも1つのインパクトのやり方だと思うんですけど、ラーメンにおいて背脂の歴史はかなり長くて、70年近く背脂は使われていますね。
小哲〜70年前から? そうですか。
大崎〜新潟が一番古いんですけれども、70年ぐらい前から背脂をたくさん入れて作ってますね。
インパクトが求められる時代
小哲〜僕自身の体験からいうと、1970年代の初めの頃かなあ、バンドの仕事をしていて夜中によくみんなでラーメン食べに行ったんですね。千駄ケ谷のホープ軒は、店の前にタクシーがずらっと並んでいて、あの頃はガイド本もないから、おいしい店はタクシーが止まってる店とか、タクシーの運転手から聞いて、みんなで行くわけです。だけど、あそこに行ってビックリしたのは、いま言った背脂がびっちゃびちゃなんですよ。でも、その頃は、若かったせいか美味しいと思ったの。いまはどーも好きじゃないんだけどね。ただし、僕の体験でいうと、あの頃から脂ギトギトの濃厚なのが出てきたのかなあと思うんですけどね。
大崎〜そうですね、インパクトということでいうと、ホープ軒と土佐っ子というのが時代を引っ張ってたというのはありますね。当時のインパクトのつけ方は、背脂とか、割とシンプルなインパクトなんですね。ところが、ここ数年は豚骨も時間をかけて炊き出してどろんとした感じ、魚介は魚介でこれもまた濃厚に炊き出して、しかもそれをミックスして、なおかつ脂には香りをつけてという、手間も時間もかけたこだわりのインパクトラーメンになってきていますので。ただ、その当時、ホープ軒時代からインパクトというテーマはラーメンには欠かせないものとしてありましたね。その頃からいかに雑誌に載るか、テレビで紹介されるかというのはありましたから、むしろ、地方に行くとそういうのはあまり関係ないので、おだやかな昔ながらのラーメンで人気のお店というのは点在していますね。それと一番大きな影響というのはインターネットですね。11年前にインターネット元年ということでスタートして、情報が簡単に手に入るようになったということで、食べる側も、作る側も様変わりしましたね。
小哲〜その影響はかなり出ているんですか。
大崎〜ものすごい影響を受けています。
小哲〜食べる側はありますね、情報があふれているしね。
大崎〜作る側も、食材にしてもそうですし、ほかの店がどんなことをやっているかという情報が簡単に手に入るようになりましたので、まねするのが非常に簡単になったんですね。あと、ラーメン本がたくさん出るようになりましたから、いま言葉的には○○インスパイヤーということでまねをした、かっこうのいい言い方をしていますけれども、いうなればパクリなんですけど、ラーメン界にはそれがまかり通っているので。
小哲〜変わったといえば、ラーメンは、この10年くらいでずいぶん変わってきましたよね。激動の10年とでもいうくらいに。
激動の時代に突入したラーメン
大崎〜ラーメンは1910年に浅草に来々軒ができたのがラーメン専門店の第1号といわれていて、間もなく100年を迎えるわけですけど、ここ90年間はゆるやかな成長をしてきたんだと思うんですね、売上げとかではなくて、お店というか、ラーメンの変化という部分では。ところが、その90年の変化と、ここ10年の変化は同じぐらいというか、ここ10年はものすごい様変わりをしているわけです。で、私はその区分を95年、96年に見ていまして、インターネット元年が95年ですが、96年というのはラーメン界にとって大きな節目でして、麺屋武蔵、くじら軒、青葉、この3軒がオープンしたのが96年なんです。で、私が記事を書く時は96年組という言い方をしているんですけれども、この3軒が与えた影響はものすごく大きいんですね。
小哲〜ラーメンは誕生から90年目にして、激動の時代へと突入するわけだ。ところで、96年組というのは、大崎さんが名付けた呼び方ですか。
大崎〜そうです、そのはずですけど。その3軒の後々に与えた影響はものすごいものがありますね。スープの考え方、お店のスタイル、あと味の部分ですね。
小哲〜なるほど、96年組によるラーメン革命ですね。それじゃ、その96年組がいかにラーメンを変えたかについては、次回、じっくりとやりましょう。
(次回へ続く)
