醤油(その1)
醤油がなければ日本人は生きてゆけない
小哲〜日本人になくてはならないものとして、前回まではごはんについて話したんだけど、同じようにこれがなければ日本人は生きていけないというのに醤油があると思うんですね。とにかく、醤油がなければ日本の料理は成り立たない。ただし、醤油っていうのはなんでも美味しくしてくれるから、これほど有難い調味料はないのだけど、逆に、うますぎてね、本来塩で食べたらいいものまで醤油で食べてしまうもんで、どれも似たような味になってしまう。たとえば、焼き魚なんか醤油をかけちゃうと、せっかくの持ち味を消しちゃうでしょ。まずい魚だったら、そりゃ醤油でごまかせばいいけど。それと、醤油とひと口に言うけれども、みんな地方ごと違う味のものをこれが醤油だと思って食べているんですよね。富山では、刺身を甘いたまり醤油で食ぺていたりするし。
雁屋〜醤油は日本にいろいろあるけど、西の方に行くと甘くなるんだよ。ただ、たまりは醤油とは違うからな。
小哲〜まあ、そうだけどね。あと、長崎なんかもあまいですよね。
雁屋〜あのへんも醤油じゃなくてたまりだな。あれはわざと甘くしてるんだ。高知もそうだよ。たまり醤油って言ってるけれども、もともとたまりっていうのは味噌をつくってる途中で味噌の中の汁分が容器にたまるんだよ。それを取って出したのがたまりなんだよ。だから、たまり醤油なんていうのはほんとはおかしいんだよ。
小哲〜昔、農家のおばちゃんが作った味噌を2、3キロもらったことがあってね。それを冷蔵庫に1年くらい置いたままにしておいたら、下のほうにたまりがにじみ出ていた。それをなめたら、鮮烈でほんとうにうまかったなあ。あれがたまりの原型だと思うんだけど、現在のたまり醤油というのは、はじめから味噌と同じように大豆だけで醸造しているんだね。
雁屋〜僕はあの甘いたまり醤油っていうのは苦が手でねえ。お刺身を食べるときにたまり醤油はちょっとね。高知なんかも魚がすごくおいしいんだけど、たまり醤油を使うところが多いので、ああいうところに行くときには醤油を持って行った方がいいんじゃないかって思う、僕の好みからすればね。長崎の醤油も甘いけど、昔から砂糖を珍重する地域の醤油は甘いなあ。
小哲〜だけど、高知からちょっと和歌山の方に行くと甘くないいわゆる湯浅醤油系の透明感のある醤油になるんだよね、不思議と。そして、日本海側に行くとまたとろりとした甘いのがある。
醤油のルーツは径山寺味噌
雁屋〜醤油っていうのは、鎌倉時代に禅僧が宋から持ち帰った径山寺味噌が紀州に伝わり、それからできた溜まりがルーツとしてあるんだけど、今のような醤油が作られるようになるのは、比較的最近で、江戸時代の少し前くらいなんだよね。最初は紀州が中心だったのが、江戸中期になると、関東の野田とか銚子あたりでも作るようになって、産業として関西よりも関東のほうが盛んになった。
小哲〜いまや大手の醤油メーカーはキッコーマンをはじめ関東が多いでしょ。
雁屋〜この間、僕は青森に行って驚いたんだけど、青森では醤油は昔からずっとなかったから、何を使っていたかというと味噌なんだよね。味噌を布に入れて、それをお湯の中でゆするわけだ。そうすると味噌の塩分とかうまみが出るじゃない。それを調理に使うんだよ。すましといって、それがすごくおいしいんだよね、逆にね、醤油に慣れてるとさ。
小哲〜それって、醤油ができる前の時代の「垂れみそ」ってやつに似てますよね。味噌を水と一緒に煮たやつを布袋に入れて、それから垂れてきた汁を醤油代わりに使った。
雁屋〜そのすましがね、いま食べるとかえって新鮮でうまいんだよね、鍋なんかそれでやるとさ。要するに、青森はかつては日本の中で辺境の方じゃない。北海道なんか明治になってから開かれたところで、明治までは青森が北端だったわけだ、日本の。たから、北端の地までなかなか醤油は届かなかったんだよな。
小哲〜醤油はなくても、味噌はあったわけですからね。
日本人は醤油も日本風に変えてしまった
雁屋〜それで青森ではずっとすましを使ってたわけだ、醤油のかわりにね。いまでもそのすましを使ってるんだよ。ついでに言うと、醤油っていうのはもともとは中国のものなんだけど、日本の醤油と、中国の醤油を比べてみると、味が全然違うわけだ。日本料理に使うと中国の醤油っておいしくないんだよ。でも、中華料理のときは中国の醤油じゃないとおいしくないんだよね。魚とか貝の清蒸(チンジャオ)ってつくるじゃない。そのときに日本の醤油を使うと香りが強すぎて、中国の醤油だとちょうどいい具合になるの。やっぱり中華料理のときは中国の醤油じゃないとだめなんだな。
小哲〜僕、いつも家で清蒸(チンジャオ)を作るときは魚醤を使うよ。
雁屋〜清蒸には、魚醤は使わない。
小哲〜そぅ? おいしいよ。今度やってみて。
雁屋〜重なっちゃうじゃない、魚の味と魚醤が。
小哲〜大丈夫、大丈夫、全然。広東料理でも使っているところあるよ。
雁屋〜そうかな、僕は魚醤は使わないね。とにかく、中国の醤油と日本の醤油というのは、ドロッとしたところも違うしな。日本の醤油の方が色が鮮やかで、日本では醤油のことをむらさきっていうだろう、別名。中国の醤油はむらさきにはならないよね。香りも違う。結局、中国からもってきた文化である醤油を日本風に変えちゃったわけだよね。
小哲〜これまた日本人の得意技で、なんでも日本風に変えて取り入れちゃうってやつね。
今や世界中に広まった醤油
雁屋〜で、いまや醤油は世界中に広まってるけども、これはみんなキッコーマンの醤油なんだ。海外ではキッコーマンの醤油が一番高く評価されてるわけでね。アメリカにも醤油工場を持ってるだろう。それから、オーストラリアなんかどんな田舎に行ったってスーパーマーケットに醤油があるもの。
小哲〜醤油ってオーストラリアでもそんなにポピュラーなの?
雁屋〜オーストラリアはどこに行ったってあるよ。最近はわさびだってある。
小哲〜え、わさびなんか誰が買うの?
雁屋〜オーストラリア人さ。
小哲〜オーストラリア人がわさびを使うの?
雁屋〜なに言ってるのよ、もう20年ぐらい前だけどさ、オーストラリアのリゾート地で有名なところがあるわけだよ。そこは島でホテルは1つしかなくて、昼はいわゆるバイキング形式になってて、そこに料理がいろいろ並ぶんだけど、マグロの刺身なんかも並ぶわけだよ。その脇にわさびがつくんだけど、これがどういうわけか知らんけど、もちろん粉わさびだけど、丸薬みたいに丸めてあるんだよ。
小哲〜ほんとに!丸めたわさび!?(笑)
雁屋〜そう、それで最初にマグロの刺身からなくなっていくんだから。
オーストラリアでは、醤油だけでなくわさびも売っている
小哲〜そうか、オーストラリアでも寿司ブームか・・・・・。
雁屋〜シドニー競馬に会員制のジョッキークラブってのがあってね、そこの食堂に行くといろんな料理が並んでんだけど、そこにも、ちゃんとマグロとサケの刺身があるんだよ。最近はオーストラリア人だって刺身が好きなんだな。で、皿の横にはちゃんと醤油と粉わさびが置いてあるよ。それどころか、スーパーマーケットに行けば、チューブ入りのわさびだって売ってるんだよ。
小哲〜えッ、ほんとうに? 日本人向けの日本食料品店じゃなくて?
雁屋〜ちがうちがう、一般のスーパーマーケットでわさびも売ってる。
小哲〜ありャァ、昔、僕がロンドンにいた頃なんか、わざわざ町のはずれにある日本食料品店まで買いに行ったもんだよ。
雁屋〜シドニーじゃ、もう普通の大きいスーパーマーケットでみんな売ってるね、そういうものは。
小哲〜オーストラリアってイギリス系とかドイツ系が多いから、彼らはいちばん生ものを食べない人たちだと思ってた。
雁屋〜いや、これがもう様変わりだよ。18年前に僕たちが初めてシドニーに行ったときは海苔巻を食べられないオーストラリア人がいたんだけど、いまはシドニーの街中、あちこちに海苔巻のテイクアウトの店があってさ、でも、日本人がやってるんじゃないんだよ、もう。
小哲〜韓国人なんじゃない?韓国にも海苔巻きがあるから。
雁屋〜韓国人も多いけれども、中国人もやってるし、オーストラリア人もやっている。で、学生が海苔巻を食べながら町を歩いてるんだよ。
小哲〜ハンバーガーじゃなくて、海苔巻きを手にして歩いてるの!?
雁屋〜うーん、すごいよ。海苔巻がちゃんと定着しちゃってるもの。だから、醤油もオーストラリアには完全に定着している。
小哲〜そうか、そうすると、日本の味が世界各地に定着する、その先導役を務めたのが醤油だって言えるんだ。
雁屋〜うん、醤油だな。
小哲〜そう考えると、改めて醤油という調味料の偉大さに驚かされますね。
つづく...
