雁屋哲と小哲の立体コラムトップへ戻る

メイン

醤油

水は命に必要なものとして、すべての生き物がこれなしには生きてゆけない。しかし、日本人にとって、これがなけれは生きてゆけないというものがある。それが醤油だ。ただし、いまや醤油は単なる調味料から、日本の味を世界に広める先導役ともなっているという。

醤油(その1)

醤油がなければ日本人は生きてゆけない

小哲〜日本人になくてはならないものとして、前回まではごはんについて話したんだけど、同じようにこれがなければ日本人は生きていけないというのに醤油があると思うんですね。とにかく、醤油がなければ日本の料理は成り立たない。ただし、醤油っていうのはなんでも美味しくしてくれるから、これほど有難い調味料はないのだけど、逆に、うますぎてね、本来塩で食べたらいいものまで醤油で食べてしまうもんで、どれも似たような味になってしまう。たとえば、焼き魚なんか醤油をかけちゃうと、せっかくの持ち味を消しちゃうでしょ。まずい魚だったら、そりゃ醤油でごまかせばいいけど。それと、醤油とひと口に言うけれども、みんな地方ごと違う味のものをこれが醤油だと思って食べているんですよね。富山では、刺身を甘いたまり醤油で食ぺていたりするし。

雁屋〜醤油は日本にいろいろあるけど、西の方に行くと甘くなるんだよ。ただ、たまりは醤油とは違うからな。

小哲〜まあ、そうだけどね。あと、長崎なんかもあまいですよね。

雁屋〜あのへんも醤油じゃなくてたまりだな。あれはわざと甘くしてるんだ。高知もそうだよ。たまり醤油って言ってるけれども、もともとたまりっていうのは味噌をつくってる途中で味噌の中の汁分が容器にたまるんだよ。それを取って出したのがたまりなんだよ。だから、たまり醤油なんていうのはほんとはおかしいんだよ。

小哲〜昔、農家のおばちゃんが作った味噌を2、3キロもらったことがあってね。それを冷蔵庫に1年くらい置いたままにしておいたら、下のほうにたまりがにじみ出ていた。それをなめたら、鮮烈でほんとうにうまかったなあ。あれがたまりの原型だと思うんだけど、現在のたまり醤油というのは、はじめから味噌と同じように大豆だけで醸造しているんだね。

雁屋〜僕はあの甘いたまり醤油っていうのは苦が手でねえ。お刺身を食べるときにたまり醤油はちょっとね。高知なんかも魚がすごくおいしいんだけど、たまり醤油を使うところが多いので、ああいうところに行くときには醤油を持って行った方がいいんじゃないかって思う、僕の好みからすればね。長崎の醤油も甘いけど、昔から砂糖を珍重する地域の醤油は甘いなあ。

小哲〜だけど、高知からちょっと和歌山の方に行くと甘くないいわゆる湯浅醤油系の透明感のある醤油になるんだよね、不思議と。そして、日本海側に行くとまたとろりとした甘いのがある。

醤油のルーツは径山寺味噌

雁屋〜醤油っていうのは、鎌倉時代に禅僧が宋から持ち帰った径山寺味噌が紀州に伝わり、それからできた溜まりがルーツとしてあるんだけど、今のような醤油が作られるようになるのは、比較的最近で、江戸時代の少し前くらいなんだよね。最初は紀州が中心だったのが、江戸中期になると、関東の野田とか銚子あたりでも作るようになって、産業として関西よりも関東のほうが盛んになった。

小哲〜いまや大手の醤油メーカーはキッコーマンをはじめ関東が多いでしょ。

雁屋〜この間、僕は青森に行って驚いたんだけど、青森では醤油は昔からずっとなかったから、何を使っていたかというと味噌なんだよね。味噌を布に入れて、それをお湯の中でゆするわけだ。そうすると味噌の塩分とかうまみが出るじゃない。それを調理に使うんだよ。すましといって、それがすごくおいしいんだよね、逆にね、醤油に慣れてるとさ。

小哲〜それって、醤油ができる前の時代の「垂れみそ」ってやつに似てますよね。味噌を水と一緒に煮たやつを布袋に入れて、それから垂れてきた汁を醤油代わりに使った。

雁屋〜そのすましがね、いま食べるとかえって新鮮でうまいんだよね、鍋なんかそれでやるとさ。要するに、青森はかつては日本の中で辺境の方じゃない。北海道なんか明治になってから開かれたところで、明治までは青森が北端だったわけだ、日本の。たから、北端の地までなかなか醤油は届かなかったんだよな。

小哲〜醤油はなくても、味噌はあったわけですからね。

日本人は醤油も日本風に変えてしまった

雁屋〜それで青森ではずっとすましを使ってたわけだ、醤油のかわりにね。いまでもそのすましを使ってるんだよ。ついでに言うと、醤油っていうのはもともとは中国のものなんだけど、日本の醤油と、中国の醤油を比べてみると、味が全然違うわけだ。日本料理に使うと中国の醤油っておいしくないんだよ。でも、中華料理のときは中国の醤油じゃないとおいしくないんだよね。魚とか貝の清蒸(チンジャオ)ってつくるじゃない。そのときに日本の醤油を使うと香りが強すぎて、中国の醤油だとちょうどいい具合になるの。やっぱり中華料理のときは中国の醤油じゃないとだめなんだな。

小哲〜僕、いつも家で清蒸(チンジャオ)を作るときは魚醤を使うよ。

雁屋〜清蒸には、魚醤は使わない。

小哲〜そぅ? おいしいよ。今度やってみて。

雁屋〜重なっちゃうじゃない、魚の味と魚醤が。

小哲〜大丈夫、大丈夫、全然。広東料理でも使っているところあるよ。

雁屋〜そうかな、僕は魚醤は使わないね。とにかく、中国の醤油と日本の醤油というのは、ドロッとしたところも違うしな。日本の醤油の方が色が鮮やかで、日本では醤油のことをむらさきっていうだろう、別名。中国の醤油はむらさきにはならないよね。香りも違う。結局、中国からもってきた文化である醤油を日本風に変えちゃったわけだよね。

小哲〜これまた日本人の得意技で、なんでも日本風に変えて取り入れちゃうってやつね。

今や世界中に広まった醤油

雁屋〜で、いまや醤油は世界中に広まってるけども、これはみんなキッコーマンの醤油なんだ。海外ではキッコーマンの醤油が一番高く評価されてるわけでね。アメリカにも醤油工場を持ってるだろう。それから、オーストラリアなんかどんな田舎に行ったってスーパーマーケットに醤油があるもの。

小哲〜醤油ってオーストラリアでもそんなにポピュラーなの?

雁屋〜オーストラリアはどこに行ったってあるよ。最近はわさびだってある。

小哲〜え、わさびなんか誰が買うの?

雁屋〜オーストラリア人さ。

小哲〜オーストラリア人がわさびを使うの?

雁屋〜なに言ってるのよ、もう20年ぐらい前だけどさ、オーストラリアのリゾート地で有名なところがあるわけだよ。そこは島でホテルは1つしかなくて、昼はいわゆるバイキング形式になってて、そこに料理がいろいろ並ぶんだけど、マグロの刺身なんかも並ぶわけだよ。その脇にわさびがつくんだけど、これがどういうわけか知らんけど、もちろん粉わさびだけど、丸薬みたいに丸めてあるんだよ。

小哲〜ほんとに!丸めたわさび!?(笑)

雁屋〜そう、それで最初にマグロの刺身からなくなっていくんだから。

オーストラリアでは、醤油だけでなくわさびも売っている

小哲〜そうか、オーストラリアでも寿司ブームか・・・・・。

雁屋〜シドニー競馬に会員制のジョッキークラブってのがあってね、そこの食堂に行くといろんな料理が並んでんだけど、そこにも、ちゃんとマグロとサケの刺身があるんだよ。最近はオーストラリア人だって刺身が好きなんだな。で、皿の横にはちゃんと醤油と粉わさびが置いてあるよ。それどころか、スーパーマーケットに行けば、チューブ入りのわさびだって売ってるんだよ。

小哲〜えッ、ほんとうに? 日本人向けの日本食料品店じゃなくて?

雁屋〜ちがうちがう、一般のスーパーマーケットでわさびも売ってる。

小哲〜ありャァ、昔、僕がロンドンにいた頃なんか、わざわざ町のはずれにある日本食料品店まで買いに行ったもんだよ。

雁屋〜シドニーじゃ、もう普通の大きいスーパーマーケットでみんな売ってるね、そういうものは。

小哲〜オーストラリアってイギリス系とかドイツ系が多いから、彼らはいちばん生ものを食べない人たちだと思ってた。

雁屋〜いや、これがもう様変わりだよ。18年前に僕たちが初めてシドニーに行ったときは海苔巻を食べられないオーストラリア人がいたんだけど、いまはシドニーの街中、あちこちに海苔巻のテイクアウトの店があってさ、でも、日本人がやってるんじゃないんだよ、もう。

小哲〜韓国人なんじゃない?韓国にも海苔巻きがあるから。

雁屋〜韓国人も多いけれども、中国人もやってるし、オーストラリア人もやっている。で、学生が海苔巻を食べながら町を歩いてるんだよ。

小哲〜ハンバーガーじゃなくて、海苔巻きを手にして歩いてるの!?

雁屋〜うーん、すごいよ。海苔巻がちゃんと定着しちゃってるもの。だから、醤油もオーストラリアには完全に定着している。

小哲〜そうか、そうすると、日本の味が世界各地に定着する、その先導役を務めたのが醤油だって言えるんだ。

雁屋〜うん、醤油だな。

小哲〜そう考えると、改めて醤油という調味料の偉大さに驚かされますね。


つづく...

醤油(その2)

羊肉としょうゆ

雁屋〜醤油で思い出したんだけど、いまから20年ぐらい前にオーストラリアのボーダータウンで、僕の友達のエカードがやっている羊の食肉処理場を見学したことがあってね。で、羊の処理行程を見たあとで、羊を食べてみるかって言われたから、それじゃあ刺身にしてくれって言ったんだ。そうしたら、エカードがびっくりしちゃってさ。田舎町で人口は2、3千人しかいない町なのに、あわてて町のスーパーに行ってしょうゆを買ってきたんだよ。

小哲〜エッ、ボーダータウンでしょうゆを売ってたの!?あんなオーストラリアの田舎町で。僕も前に行ったことがあるけど、あそこは牧場と羊の食肉処理場で成り立っている町だから、住民のほとんどが処理場で働いているっていってたよ。

雁屋〜そう。それで、羊の肉のおろしたのを刺身にして食わしてくれたの。

小哲〜刺身で食いたいって言ったら、ちゃんと日本式の刺身で食べさせてくれたんだ。

雁屋〜そうそう。

小哲〜あんな小さな町で、信じられないな。僕はさ、刺身っていうから、てっきりタルタルステーキみたいな、そういうのかと思った。

雁屋〜違う、違う。日本の刺身を食わせろって言ったんだよ。そうしたらあんな田舎町なのにスーパーでちゃんと醤油を買ってきたもの。

小哲〜言うほうも、言うほうだけど、ちゃんとしょうゆを買ってきたってのも、それはすごいことですよ。

雁屋〜そう、すごいことだよ。だけど、もう20年ぐらい前の話だよ。僕がオーストラリアに行ったばっかりの頃だもの。そうそう、エカードの兄さん、エリックに「ここで羊の刺身を食ったの、誰かいるかい」って聞いたら、「いない、いない、お前だけだ」って。白衣を着て処理したての羊を刺身で食いたいって言ったんだから。でも、わざわざ醤油を買いに行ったからね。

小哲〜で、味はどうだったの、美味しかった?

雁屋〜いや、うまいうまい。ラムの刺身は最高だよ。

小哲〜そうかあ。だけどラムを焼いたときは、あの匂いと醤油は合わないと思うんだよね、僕は。味がぶつかっちゃう。

雁屋〜いやあ、うちでいちばん人気のあるバーベキューの材料はラムなんだよ。ラムを酒と醤油に一晩漬けておくの。それを翌日焼くのね。これが美味しいんだよ。ものすごく美味しい。それを食わせると日本から来たやつは、美味しい、美味しいって何本も食うよ。ラムのラックのところがあるだろう、脇腹のところ、骨をつけたままスライスしたやつね。それをやると日本人も何本でも食うよ。オーストラリア人も大好き。それから、ポークのスペアリブも醤油で味つけるとおいしいよ。

小哲〜ポークのスペアリブはいいんだよ、豚はどうにでもできるから。だけど、ラムはどうもしょうゆとは合わないな。

雁屋〜いやいや、やってごらん。うちではすごく評判いいよ。

小哲〜じつは、日本でなぜラムが流行らないか、前に雑誌に書いたことがあるんだ。何故好きにならないかっていうと、みんな醤油で食っちゃうから、ラムの味と醤油の味がぶつかる。塩とスパイスで食うとうまい。

雁屋〜それは変なラムを食ってるからだろう。いいラムだったら刺身で醤油でおいしいしさ。醤油でマリネにしておいたラムはバーベキューで焼いたら最高にうまいよ。

小哲〜そうかなぁ、じゃあ今度試してみるか。日本のスーパー、昔からそうだけど、スーパーの売り場でいつも売れ残っているのがマトンを醤油に浸けたやつなんだよ。

雁屋〜あれはまずいよなぁ。

小哲〜そうでしょ。みんなあれを食べてるから、羊は臭くてまずいもんだと思ってる。

雁屋〜おまけにあれ、甘くしてるだろう。それにたまねぎに混ぜちゃって。韓国のプルコギ、あれもまずいじゃない。あれみたいな味がするんだよ。ああいう形にするからおいしくないんであって、酒と醤油でひと晩浸けておくと美味しいよ。

小哲〜うん、日本では最近、ジンギスカンなんてのが流行ってはいるんだけどね。僕はどうも、食べる気がしない。

フランス料理としょうゆと日本人シェフ

雁屋〜昔は日本でフランス料理というと、ホテルのレストランしかなかったんだけど、町場で本格的なフランス料理店ができたのは、「シェイノ」の井上さんみたいな人たちが、70年代にフランスで修業して日本に帰ってきてからなんだよ。だけど、あの世代の人たちは醤油を使うことを拒否してたんだよね、面白いことに。とにかく醤油の味からいかに離れるかということが最重要課題だったんだよ。それが、最近のフランス料理のシェフたちは気軽に醤油を使うんだよな。醤油は完全に彼らの必須要件になってる。フランス料理の人たちが醤油をポタポタたらすんだから。今から思えば、その当時のフランス料理の日本人シェフたちっていうのは、固定観念にとらわれていたんだな。

小哲〜でもその気持ちはよくわかるね。彼らは一生懸命フランス人になろうとしていたんだと思う。

雁屋〜そうなんだろうね。そういう意味では何かにとらわれた心では新しいものは作れないな。だから、フランス人のほうがフランス料理に醤油を取り込んで美味しいものを作っちゃうみたいなね。ロビュションなんて平気で使っちゃうしさ、たいしたもんだよ。

小哲〜本家だから自信があるし、どうやろうと、自分が何をつくろうとフランス人がやっていればフランス料理だからね。日本人のシェフはフランス料理じゃないって言われるのがなによりも怖い。だから、しょうゆなんか使ったらお里が知れちゃうってわけでしょ。それで、みんなわざわざフランスから食材を取り寄せている。フランス料理らしくするために。

雁屋〜そうなんだよな。しかし、何てったって醤油のうまさだよ。これは揺ぎのないものですよ。

小哲〜そうか、じゃあ日本のフランス料理にとって、醤油はいわば逆輸入であって、ようやく最近になって醤油という呪縛から解き放たれたってわけだ。難しいよね、醤油って日本人の心みたいなもんだから。


つづく...

醤油(その3)

牛肉には醤油が一番

雁屋〜前回、羊と醤油の話をしたけど、僕が思うのに、牛肉に一番よく合う調味料は醤油だよ。

小哲〜明治時代に、牛肉を食べようってことになったときに、醤油がなかったら日本人は獣臭くて食べられなかったと思うな。

雁屋〜そう。でも最初の牛鍋というのは味噌だよ、横浜でやったのはね。

小哲〜たぶん猪鍋の要領でやったんじゃないかと思うんだな。でも、結局はすき焼きみたいに醤油味になっちゃったもんね。

雁屋〜ステーキだって、僕の家でステーキを焼くときは、最後にブランデーをかけて肉が燃えるところを取り出して、鍋に残った肉汁とブランデーに醤油を足して、それをたれにして食べる。これがうまいんだよね。それから、僕が一番好きなのは、牛肉の佃煮。生姜と醤油で煮たやつ。あれは僕の家の常備菜なんだけど、牛肉っていうのはほんとに醤油が一番合うと思うな。

小哲〜うん、合うよね。僕は、若い頃はステーキは塩と胡椒に限るって思ってたんだけど、最近はバター醤油のほうがよくなっちゃった。なんたってバター醤油味の肉汁にご飯をからめて食べると、これがもう旨くてたまんない。で、結局、塩胡椒派から醤油派に戻っちゃった。

雁屋〜例えば、牛肉のすじ肉の煮込みってあるじゃない。いわゆる煮込み。あれは味噌仕立てのと醤油仕立てのがあるけど、醤油仕立ての方がはるかにうまいもんね。醤油で煮た牛肉っていうのは2、3日置くと香りがよくなっておいしくなるんだよね、つくったその日よりも。

小哲〜ああ、そうかなあ。味がしみこむってことじゃなくて?

雁屋〜そうじゃなくて、香りがね、熟れるっていうのか発酵するっていうのか、味がまた変わってきてすごくいい香りになる。

小哲〜へえ、そんなふうに変わるの。

雁屋〜すごくよくなる。煮てすぐ食べるよりも2、3日置いて食べた方がおいしい。

小哲〜味噌は強すぎて、牛肉の味を殺しちゃうんじゃないかなあ。

雁屋〜いや、そんなことないよ。うちは昔よく味噌漬けなんてやったけど、おいしいよ、あれは。

小哲〜そういえば、味噌漬け肉を炭焼きにするとおいしいもんなあ。

雁屋〜おいしいよ、殺しやしないよ。

小哲〜昔、江戸時代に、彦根の殿様は寒中見舞いとして、将軍や親藩に、なんと牛肉の味噌漬けを贈ってたんだって。だから、下々には肉食を禁じていたけど、お城の中では牛肉を食べていて、しかも味噌漬けだったというんだよ。

雁屋〜すき焼きは、みんな醤油を使うじゃない。だから、それに慣れちゃってるから、味噌仕立てはまずいんじゃないかと思うけど、そんなことはないね。味噌仕立ての汁の中に牛肉の薄切りを入れて食べてもうまいしさ。だから、牛肉と野菜を炒めて、そこに味噌を入れてごらん、うまいから。

小哲〜うん、それはうまいだろうな。

雁屋〜すごくうまい。だから、味噌が必ずしも牛肉に合わないっていうんじゃなくて、単にすき焼きが受けちゃったってことじゃないかなあ。すき焼きの場合は、たしかに味噌より醤油の方が軽快でいいもんね。

小哲〜塾長はすき焼きはあんまり好きじゃないって言ってるけども、でも好きなことは好きなんだね。

雁屋〜好きは好きだよ。ただ、外で、いわゆるすき焼き屋に行こうとは思わないな。もったいなくて、そんなの。自分の家でつくった方がうまいんだもん。いい肉で自分の家でつくった方がはるかにうまいよ。

小哲〜それは僕もそう思う。すき焼き屋だと仲居さんが砂糖をドバッて入れるじゃない、澄ました顔で。あれやられると、もう泣きたくなるよね。

雁屋〜とにかく、そういう風に、自分の家でつくった方がうまいものは外では食べない。これが原則だな。

小哲〜そう、家庭の幸福のためにもね・・・・・・・・

醤油(その4)

魚料理が美味しいのも醤油のおかげ

雁屋〜醤油だけど。僕らが魚をこんなに食べるようになったのは、醤油のおかげですよ。あなたはさっき焼き魚に醤油をかけちゃいけないなんて言ったけど、これは違いますよ。例えば、アジの干物だって、そのまま食ってもおいしいんだけど、そこに香りづけにちょっと醤油をたらすとまた味がおいしくなるんだよ。

小哲〜いや、おいしいのはわかるんだけど、醤油はなんでも同じ醤油味にしてしまうから、もったいない・・・・・

雁屋〜もったいないかもしれないけど、それはそれでまたおいしくなるのよ。特にちょっと味が落ちてるなあなんて思う魚は醤油をかけると……

小哲〜いや、そこは醤油のスゴイところだと思うんだな。早い話が、醤油は美味しすぎて困る・・・・・・・

雁屋〜とにかく、なぜ日本人がこんなに魚を食べるかっていったら、やっぱり醤油があるから調理してもおいしいわけだし。西洋で魚の調理をするとなると、結局、バターで焼いてとか、あとはブイヤベースみたいに煮込んじゃうとかそんなものでしょう。日本の場合は、醤油があるおかげでいろんな変化に富んだ調理法ができるんだよね、刺身もあれば鍋もできるしね。魚だけを煮つけることもできるし。それから、バターで焼いて醤油をかければまたおいしくなる。醤油があるおかげで野菜を一緒に煮てもおいしくなっちゃうしね。例えば、ブリ大根みたいなものだって考えられないよ、醤油がなかったら。醤油のおかげで料理の幅が広がり、奥行が深くなるんだよね。

小哲〜たしかに、その通りなんです。もしも醤油がなかったら、刺身とか寿司は、あんなに美味しく食べられないですからね。絶対に無理。

雁屋〜シドニーの家で、息子たちの友達のオーストラリア人の子どもが遊びに来ると、彼ら、ごはんにいきなり醤油をかけちゃうんだよ。僕が「それはだめ、それはとっても行儀の悪いことだから」って言うと顔色が変わってね。いちおうみんな僕のこと偉いと思ってるから、僕が「あっ、それはだめ!」なんて言うとエッて顔をしてね。だけど、そのうちみんな平気で醤油をかけちゃうんだよな。でもさ、それは行儀はよくないんだけど、実はうまいんだよ。(笑)

小哲〜子供の頃、海苔でごはんを食べるのが好きでね。で、あるとき、なんでそんなに美味しいのか不思議に思って、試しに海苔なしに醤油だけでごはんを食べみたら、やっぱり美味しくってね。その時、はじめて醤油の美味しさを知って感動したのを覚えている。

雁屋〜それじゃあ、熱いごはんにバターを落として醤油をかけて食べてごらん、おいしいから。

小哲〜もちろん、やりましたって。

雁屋〜大体、うな重で最後にたれの染みこんだごはんが残るじゃないか。あれがうまいんだから。醤油の染みこんだごはんてうまいよなあ。

小哲〜しかし、もしもあれが塩味だったら、ああはいかないもんなあ。海苔だって塩じゃ食えないし。

雁屋〜いかない、いかない。だから、ごはんに醤油をかけちゃいけないなんて言うけど、考えてみれば、素朴に醤油の味がわかってるオーストラリア人は偉いのかもしれないな。僕たちは行儀がどうのってことが先に出てきちゃうから。

小哲〜つまり、マナーや形式にしばられていない子供や外国人のほうが、時として、ありのままの美味しさに接することができるってわけか。

醤油のこげた匂いが日本人は好き

雁屋〜それからもう一つ、醤油の焦げた匂いっていうのは日本人にとってたまらないものなんだよ。

小哲〜おせんベいなんか、そうだよね。

雁屋〜おせんべいどころか、焼きとりだって、うなぎだってそうだろ。

小哲〜餅もそうだし、焼におぎりなんてのもあるね。

雁屋〜あの醤油とか味噌の焦げた匂いってのが、日本人にはたまんないんだよ。焼き餅の匂いもそうだし、それから、どこかから醤油の焦げた匂いがしてくると日本人は食欲が沸くわけだよ。味噌もそうだしさ。

小哲〜銀座の7丁目あたりに夜行くと、屋台で餅を焼いて売ってるじゃない。

雁屋〜あるある。しかし高いなあ、あれ。1個100円だぜ。

小哲〜でも、あれって実際に食べると美味しくはないんだろうけど、匂いだけはいいんだよね。だから、つい買いたくなる。

雁屋〜いや、私はよく買いますよ。1個100円もするんだ。

小哲〜え、あんなところで買ってるんだ、しょうがないなあ。

雁屋〜銀座で飲んだあとさ、ついつい。

小哲〜やっぱりあの匂いに負けたってわけだ、塾長といえども。日本人はみんなそうなんだろうな、ほんとに。あと、縁日で売ってる焼とうもろこしなんてのもあるじゃない。あれも根強い人気があるね。

雁屋〜焼とうもろこしね。焼きとりも、うなぎもそうだけど、ああいう醤油系のものの焦げた匂いっていうのはたまらないんだよ。それこそ日本人の魂を揺さぶるかおりですね、あれは。

小哲〜そういえば、うなぎ屋の前で、うなぎを焼く煙をおかずに飯を食おうとする男の話が落語にあったでしょ。それを見たうなぎ屋の主人が代金を置いて行けっていうと、男が代金だよといってチャリンとお金の音を聞かせるって話ね。

雁屋〜あったあった。うなぎの煙で飯が食いたいと思うほどだから、つまり、醤油の焦げた匂いは今も昔も日本人の胃袋と魂を揺さぶるってわけさ。たかが調味料で、そこまでのものってのは、世界中でも醤油くらいのものだろう。

小哲〜そうだよね。となると、美味しんぼの究極のメニュー作りじゃないけど、醤油こそは日本人が後世に残す永遠の文化遺産の筆頭ですね。


つづく...

醤油(その5)

魚醤なんてものもあった

小哲〜ところで、醤油の一種で、魚醤なんてのもありましたね。醤油は大豆で作るけど、魚醤は魚から作る。で、魚醤は中国だけど、東南アジアに行くと、ベトナムではニョックマム、タイではナンプラー、フィリピンではパティスと、それぞれの国ごとに、同じように魚で作った醤油がある。

雁屋〜東南アジアに行って衝撃的なのは魚醤のうまさ、魚醤を使った料理のうまさだよね。日本でも、しょっつるとか、きびなご醬油とか、イカで作ったいしるなんてのがあるけど、要するに魚醤ですよ。しかし、魚醤ってなんで日本ではあまり一般的にならなかったんだろうな。

小哲〜うーん、東南アジアみたいには種類もないし、限られた地域でしか使われてないですね。だって、魚醤って本来もっと南の方の国のものでしょ、発酵調味料として。

雁屋〜でも、あったっていいじゃない。

小哲〜高知には、おいしい塩からがあるから、魚醤があってもよさそうなんだけど、ないなあ。

雁屋〜日本では、よく知られているのもとして、いしる、しょっつる、きびなご醬油ぐらいのもんか。

小哲〜伝統的なものはねえ。

雁屋〜しかし、歴史でいえば、醤油よりも魚醤の方がずっと古いらしいんだよね。作り方が簡単だから、当然ではあるけれど、この魚醤ってやつがバカにならない。

小哲〜そう、これがじつに料理を美味しくしてくれる。

雁屋〜ほんとうにうまいんだよ。一番いい魚醤はねえ、ベトナムに小さい島があるんだけどさ、そこでつくってる魚醤が一番おいしいの。なぜおいしいかっていうと、そこで使う魚は、日本でいうキビナゴなんだよ。きれいな色をした、あのキビナゴね。全部それでつくるんだけど、これが、すごくおいしいんだ。

小哲〜それは淡水魚じゃなくて、海水の魚だよね。ベトナムとかタイの方ではフナみたいな池の魚、淡水魚を使ってる魚醤もあるじゃない。

雁屋〜池の魚?

小哲〜そう、淡水魚ね。あと、タイとかフィリピンの市場に行くと、メダカみたいなのとか、いろんな種類の魚醤がかめに入って並んでるんだよね。

雁屋〜僕が前にタイで見たナンプラーは、インチキくさかったな。

小哲〜なんで、作るところを見たの?

雁屋〜あのね、看板にはキビナゴだけが出てるんだよ。ところが、中はいろんな魚を混ぜちゃってるんだ。イカでつくるのもあるよ、能登半島のイシルみたいに。

小哲〜だけど、それは、ウイスキーでいえば、シングルモルトとブレンドウイスキーの違いなんじゃない?

雁屋〜違う違う、そんなんじゃない。いい大豆を使った伝統的な醤油と、大量生産の醤油ほどの違いだよ。

小哲〜そうか、使っている魚の種類によっていろんなタイプの魚醤があるけれど、混ぜちゃってるのは見たことないな。

雁屋〜で、そもそも魚醤というものは、ソースというか、そういうものの中では東南アジアから始まって、これは醤油よりもはるかに古いわけですよ。というのは、つくり方が簡単なんだよね。魚に塩をぶち込んで放っておけば発酵してできちゃう。一番古い発酵食品の一つなんだよ。ところが、醤油は発酵の行程が複雑で、麹を使ったりなんかするでしょう。技術的に高度なものであって、しかも大豆と麦を生産するという農業体制がないとだめだというところがあるから、醤油の方がずっと後から出てきた。しかし、魚醤は東南アジアでは昔から使われていて、一番古い調味料だよね。だけど、僕がいままで体験した中では、ベトナムのニョクマムっていうのが一番おいしいね。

小哲〜その、キビナゴみたいな魚で作ったやつ。

雁屋〜そう、見たところキビナゴだよ、あれは。小さい魚、それだけでつくるニョクマムがあるんだけど、それが一番おいしい。

小哲〜あと、小っちゃなフナみたいな魚のもあれば、ちょっと違うけど、小エビで作ったのもあるでしょ。これは蝦醤っていってるけど。

雁屋〜いろいろある。でもね、キビナゴでつくったのが一番おいしい。シドニーは東南アジアの人たちがたくさんいるから、タイのものもあるし、ベトナムのもあるし、それからインドネシアとか、いろんな魚醤が並んでるわけですよ。シドニーには醤油があるなんてことで驚いちゃいけないんで、スーパーに行けば魚醤が並んでるわけだよ。その中で多いのはタイのだけどね。残念ならか、ベトナムのおいしいニョクマムをおいてるところはなかなかないけど。それと、魚醤の面白いところなんだけど、魚醤は食べたときはおいしいと思うじゃない。だけど、手についたら後で生臭いんだよ。

小哲〜そうそう、それが不思議なんだけどさあ、生のままだと猛烈に臭いんだけど、いったん料理して熱を加えると、これが嘘みたいに美味しくなっちゃう。

雁屋〜手についたのを洗い忘れたら、後ですごい臭い。あれは蛋白質特有の臭いだね、フグもそうじゃない。フグなんで、フグチリを食べる時に竹の柄でできてるチリレンゲを使うだろ。柄が竹で、すくうところは真鍮でできているやつね。それを使ってフグチリを食べて、その後でよく洗ったつもりでも、うっかりしてると翌日、竹の柄と真鍮のつなぎ目のところにフグの汁が残っているとすさまじい臭いがするんだよ。ものすごい臭い。それと同じだよ、魚醤は。

小哲〜じゃあ、ふぐを食べたあとのチリレンゲに塩を振っておけばいい。フグの魚醤風味の美味しいチリレンゲになってるかも・・・・

雁屋〜そうはいくもんか、その前に、真鍮がだめになっちゃうよ。

醤油(その6)

豆腐だって醤油あってのもの

雁屋〜オーストラリアから日本にもどってくると、たまにスーパーを覗いてみるんだけど、昔とちがって最近はいい醤油が並ぶようになったね。

小哲〜そうそう、この10年くらいでほんとうによくなった。いわゆる「グルメブーム」が単なる底の浅い外食ブームでしかなってことで、塾長も嫌っていたけれど、でも、全体的にみると、それだけ消費者の食に対する意識が高まったんだと思う。

雁屋〜銘柄も、地方の小さな銘柄がたくさん並ぶようになった。いいことだよな。いままでみたいに、大メーカーの独占じゃなくなって、いろんなところの醤油が並ぶようになった。ただ、ちょっと高いんだけど、でも、楽しみが増えていいことだよ。ついでにいうと、豆腐も醤油がなくちゃ美味しくないんだけど、その豆腐も、最近はスーパーであっても、昔とくらべたらずいぶん美味しいのが並ぶようになった。

小哲〜そうそう、最初はデパ地下がいいものを置きはじめたんだけど、このごろはスーパーでも、美味しい豆腐を置くようになった。

雁屋〜僕が食べたのは、ふざけた名前の豆腐屋なんだ、「風に吹かれてなんとか・・・・・・」とかいう名前でさ。

小哲〜あッ、「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」っていうんじゃないの、へんな形のパーケッジの。

雁屋〜そう、そう、それだ。「風に吹かれて豆腐屋ジョニー」。あと、「喧嘩一番」なんとかって、勝手に喧嘩売ってどうするって、よくわからないんだけど、これがうまいんだよ。

小哲〜あれ、食べてみたの?

雁屋〜食べた、食べた。ひとおとり全部食べたよ。結構うまいんだよ。ひところスーパーの豆腐なんて食うもんじゃないと思ったけど、今は美味しくなったね。

小哲〜そう、最近は、いい大豆に天然のニガリを使い、消泡剤も使ってない豆腐が、スーパーでも並んでいるんだよ。いますごくいいのがある。だけど、豆腐も醤油がないと寂しいよね。

雁屋〜味噌田楽みたいにして食べてもいいよ。

小哲〜あと、ごまだれとかもあるけど、やっぱり醤油だよな。田楽もそうだけど、飽きちゃうでしょ。

雁屋〜田楽みたいに焼けば別だけど、でも、しょっちゅう食べるんだったやっぱり醤油だなあ。冷ややっこは毎日食べても飽きないもんね。うちはほとんど毎日食べてるよ。

小哲〜そうでしょう、だから、やっぱり醤油って偉大なんですよ、毎日食べたって飽きないんだから。世界中探したって、そんな万能調味料ってほかにないですよ。

雁屋〜とにかく、日本人にとって醤油は欠くべからざるものであって、醤油がなかったら日本の食生活、食文化はまず崩れちゃうんじゃないか。

小哲〜成り立たないどころか、日本から醤油が消えたら暴動が起きるんじゃないかな。

雁屋〜醤油騒動が起きるね。ところがだ、日本の食文化の一番重要な要素を担ってるっていうのに、醤油の原料である大豆の95%が輸入さている。

小哲〜そう、大問題ですね。

雁屋〜日本の味、味覚の根幹である醤油の原料の大半が輸入に頼っているという現状は嘆かわしいものがあるよ。国産大豆でつくった醤油なんてほんとうに僅かだもんね。 

小哲〜そう考えると日本の食卓というのは、非常に危うい状況にあるわけだ。あらためて食糧自給問題を考えないといけないですね。

雁屋〜農業政策がまずかったんだよ。いまでも、アメリカとかオーストラリアとかのあの大農法でやれば安くできるに決まってるわけだから。

小哲〜醤油の話をしてたら、またこういう話になっちゃった。

雁屋〜なっちゃうんだよ。だから、僕が言うでしょう。食べものから見ると社会がよく見えるって。食べものは社会に密接に結びついてるわけだから、食べものの矛盾を突くと社会の矛盾に突き当たるわけだよ。醤油ひとつとってみても、日本の社会、農業生産のあり方、日本のいまの社会の構造、そういうところに結局突き当たっちゃうんだよ。

小哲〜醤油一滴であろうと、米一粒であろうと、日本の社会のありかたを映しだしているってわけだ。というわけで、またまた大きな宿題を背負わされたかたちになりましたけど、醤油の話は終わりたいと思います。


(了)

このページについて

ブログ「毎週更新!!雁屋哲と小哲の立体コラム」のカテゴリ「醤油」に投稿されたすべてのエントリーのアーカイブのページです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のカテゴリは寿司です。

次のカテゴリは水についてもっと話そうかです。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。


(C) Tetsu Kariya All Rights Reserved. No reproduction or republication without written permission.
イラスト/花咲アキラ(「美味しんぼ」より)
掲載の記事・写真・イラスト等のすべてのコンテンツの無断複写・転載を禁じます。