こんな寿司屋はごめんこうむる(その1)
初めて入った寿司屋は立ち食いの屋台
雁屋〜ラーメンと来たら次は寿司ですね。にぎり寿司っていうのは高級なものだったから、僕たちの子どもの頃は滅多に食べられるものではなかった。寿司屋に行ってカウンター席で食べるなんていうのは、ずいぶん後のことだな。僕の姉が大学を卒業して就職したとき、最初の給料かボーナスで銀座のお寿司屋さんに連れて行ってくれた。安いお寿司屋なんだけど、それがカウンターでお寿司を握ってもらって食べた最初。
次に、高校三年の夏休みに北海道に勉強しに行くっていうんで、その前に父親が銀座の寿司屋に連れていってくれた。その寿司屋はシマアジを丸ごと冷蔵庫にしまってあるの。それを出してきて、食べるところだけすっと切って握って、また冷蔵庫にしまっちゃう。そのシマアジがおいしくてね。そういうふうに格別のものだったなあ。そんなしょっちゅう食べるものではなかった。
岸〜戦前はお寿司はとって食べる、配達してもらって食べるものだったのね。あとは、地元の屋台。おでんなんかと同じで。本間千枝子さんの本に、「お食事をしに行くというと、お父様と待ち合わせて銀座四丁目、尾張町へ行って、ちょっとお寿司をつまんで、それから料理屋に行った」と書いてあったわね。本間さんは私より十歳下だから、昭和十年代でしょうね。
雁屋〜昔は一食全部寿司を食うなんていうことはなかった。
岸〜家にとれば別よ。寿司屋に行くっていうことはなかったですね。私が生まれて初めて寿司屋に行ったのは、大塚の三業地の入り口にあった屋台。三業地は大塚駅から自宅までの近道だったんだけど、私たちは通っちゃいけないって言われてた。たしか亀寿司という寿司屋だったと思うけど、そこに母の弟が連れて行ってくれた。立ち食いでしたね。うちに帰ってお母様に言っちゃいけないよって固く口止めされたけど。
雁屋〜ほんとに立ち食いなんですか、座れないの?
岸〜だって屋台だもの。ラーメン屋とかと同じ屋台。たぶん小学校の二、三年頃ね。ということは、昭和八年ぐらい。
雁屋〜そうすると、同じ時代に銀座には「久兵衛」のような高級な店があり、一方でそういう屋台の店と、両方あったわけだ。志賀直哉の『小僧の神様』ってあるでしょう。志賀直哉とおぼしき人間が誰かと一緒に食事をしているんですよね。あれなんかちゃんとした店ですよね、屋台じゃない。だから単につまむだけではなくて、一食食ってたんだなあ。それとも、酒を飲むだけだったのかなあ。
寿司屋が小料理屋のようになってきた
岸〜寿司屋が飲み屋になったのは戦後よ。お茶とお寿司だけを食べるのが本物だったでしょう。椅子席ができて寿司屋が飲み屋になったのは、私は気に入らないのね。なぜかというと、戦後まもなくはお刺身なんてお寿司屋に行かないと、食べられなかったじゃない。ところがいまの寿司屋は小料理を出すようになったでしょう。
雁屋〜あんまりなんかつくったものを出すのは嫌ですね。途中でお汁を出したりされると嫌になっちゃうな。単にいかにも寿司ネタを切って出しました、みたいなのはいいけど、変に凝りはじめるとね。ワインを飲ませる寿司屋とかね。
岸〜この頃、増えたわよ。
雁屋〜それが、親父が指定するんだって、この寿司にはこのワインって。
岸〜うるさい。
雁屋〜僕は静岡にいなかがあったでしょう。静岡に行くと、伯母がお寿司をつくってくれるわけです。なんてたって、にぎりがおむすびみたいにでかい。その上に静岡県ですからカツオがあるんですね。
岸〜カツオをづけにして。
雁屋〜づけじゃなくて、普通にのっける。カツオの刺身もでかいけれども、下のご飯がまたでかい。それをダーッと並べるわけ。それを見て、自家製のお寿司というのはすごいなと思った。にぎり寿司なんて家庭ではつくるものじゃなかったから。
岸〜にぎりはつくらない。押し寿司か巻き寿司で、遠足のお弁当。ちらし寿司は春秋のお彼岸。
雁屋〜誕生日にそんなものをつくってもらいましたね。
岸〜お寿司というのはもともとそういうものね。ただ、関東の寿司と関西の寿司は、箱根の山を越えると砂糖が倍になるっていうぐらいに違う。関西の寿司は甘いのよ。
雁屋〜京都で評判の寿司屋に行ったけど、ご飯が甘くてべちゃべちゃ。大阪寿司の「吉野寿司」とかはおいしいけど。
岸〜さば寿司は一本の片身をつけるのね。「いづう」ではばってらをボートのかたちにするんだけど、親父さんが、「こけら寿司は倹約して一本使わないで端っこをのっける。絶対にうちの寿司と間違えないでくれ」って、いつも言ってた。
雁屋〜たしかに京都のは、棒寿司だから丸々使ってますよね。でも僕は「吉野寿司」の方がうまいと思うな。「いづう」のはめしが固すぎる。固くしめ過ぎですよ。ご飯の粒がわからなくなっちゃうぐらい押してるから。
つづく...
